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井草 木の子(いぐさきのこ)です。
経歴についてお話し中です。
前回は、医療職で社会復帰をしたお話しでした。
交通事故の寝たきりを経て、リハビリとして軽い気持ちで始めた医療機関での仕事を、天職とまで感じやりがいを感じていましたが、西洋医学ではない医療の道への興味がわき、語学学習に路線変更するのでした。
前回の記事はこちら→医療職に復帰
そして、そんな様々な学びと研究の日々を経て、
病の成り立ちの構図が私の内側で出来上がっていったお話しをしていきます。
語学習得については、こんなエピソードがあります。
音楽は好きなのだけど、中学生頃から海外への興味が強く、語学習得して通訳やCAさんになりたいという夢もあったのです。
大学進学も、英語か音楽か・・・という選択に迫られていました。
結局音楽を選択したわけですが、大学在学中も、
”留学したいけど、語学だけ学ぶのはなんか違う。音楽での留学はなんか違うんだよな~。何か学ぶべき対象が見つかれば留学したい!“と。
何故そんなに海外に興味があったのか。それは、
欧米の方のオープンマインドな所や、さっぱりした陽気な性格などにとても興味があったのです。
オープンマインドとは「自分の心を開き、相手の考えを取り入れることもできるという気持ちのあり方」のことです。オープン(開く)とマインド(気持ち)の語感から、「自分の心を開く」という意味のみにとらえてしまいそうですが、違います。自分のことを包み隠さずに一方的に話をする姿は、オープンマインドとはいいません。オープンマインドの、もう一つの重要な要素は、相手の考えを取り入れることができる柔軟さです。自分の考えだけを大事にするのではなく、相手が考えていることにも耳をかたむけ、ときには自分の考えの方を変えることができる。そのような心もちのことを、オープンマインドといいます。
どういう環境で育てられたらこうなるのだろう、どういう価値観があるのだろう、という点でした。
また日本語発話が音程の高低が少ない(抑揚のない)のに対し、英語発話はリズミカルで音程の上がり下がりがあり、なんとも心がワクワクする楽しさがある事でした。
よって、私にとっては、
日本語=たいくつな印象
英語=楽しく話せるので楽しい発想が出来る
そういう側面がありました。
生き返り体験がなかったら、こんなことを思い出すこともなかったでしょう。
クリニック退職後、語学学校が始まる前の1カ月強を、ハワイ州ハワイ島で過ごしました。
ハワイ島(ハワイとう、英語: Island of Hawai‘i、Hawaiʻi Island)は、ハワイ諸島を形成する、太平洋上の島の一つ。ハワイ諸島のみで構成されるアメリカ合衆国ハワイ州に属する。ハワイ諸島で最大の島であることから、「ビッグアイランド」("The Big Island" )の愛称でも呼ばれる。面積は10,432.5 km2で青森県や岐阜県とほぼ同じで、沖縄本島の約8倍である。
運よくハワイ往復分の航空会社のマイレージが溜まっており、一か月も続けて休める機会はまたとないチャンスだったのです。
完全に一人の海外は初めてでしたが、ハワイ島は前にも来たことがあったので、そんなに不安はありませんでした。それよりも、一人になりたかったのです。
その頃の私は、寝たきりからの復帰で体が自由に動かせる嬉しさもありましたが、
長年の喪失した時間がもたらした様々な悪影響があちこちに出ていたのです。
はっきりいって浦島太郎状態です。
なんとかリハビリから社会復帰にこぎつけ、必死に普通の人間に戻れることが目標となっていましたが、なんと生きづらい事か!!
とにかく私には一旦リセットが必要でした。
ハワイ島の大地で水平線に沈む太陽を見ながら、涙を流しまくる日々。
胸の所がポワーっと温かくなり、自分のハートが冷たく硬く縮こまっていたことに、やっと気付きました。
思考をリセットしたく旅立ったわけですが、
本当にリセットが必要だったのは、心でした。
大自然の中で、傷つきまくっていた心身を癒しました。
独りじゃないと気付けない感覚がたくさんありました。
コンドミニアムに滞在していたので、一人で過ごしたい時は一人で過ごせるし、逆に語り合いたい時には周りに人がいる。
心から話せる友人が出来たので、今思い返しても、一人で行った気がしていません。
割とすぐに誰とでも打ち解けられる特性があるので、こういうのは実はとても性に合っているのだと思います。
独りで見つめる時間が必要でしたが、結果的には、
そこで出来た友人たちと語りあったりする中で頂いた回復パワーの方が、数千倍威力がありました。今思い出しても、嬉し涙が出てきます。
全てひっくるめて、ハワイ島の
人間が本来の姿に近づけるこの大自然のパワーは圧巻でした。
そんなリセット旅行で心身ともに、学校生活に入る準備が整いました。
今さら勉強漬けの毎日を送るという多少の不安はありましたが。
私には寝たきり期間があるので、少なくともその7年分はなかったこととして、自分の実年齢よりも差分を計算してマインドセットすることにしました。人生やり直ししているのでサバ読むとかということじゃなくて。
(このへんの話は、マインドの話としてまたお話ししていく予定です)
だから、私は〇〇歳だから、これは出来ない。とか、そういうのは、やめよう!と決めました。
そんなこと言っていたら、勉強する事すら無理になってくるのです。
このころから、私は戸籍上の年齢を言わない、相手の想像にお任せするという生活スタイルに変えました。
もちろん学校でも年齢は言いませんし、そもそも女性に年齢を聞くなんて欧米ではあり得ないこと。
学内がオールイングリッシュ、ほぼアメリカ(たまにイギリス)生活していましたので、そのことに全く違和感はありませんでした。
語学学校では様々な年齢の生徒がいましたので、何歳でもアリなんですよね。
とはいえ、周りからは私がマインドセットした年齢よりも若く見られていたようです。
しめしめ、設定通り!!(笑)
特に若作りをした服装とか化粧とかしているわけじゃないですよ。
しかも化粧はどちらかというと薄化粧。ファッションもあまり流行を意識したものは着ません。
ただ、実際に話すと知識量が多すぎて、え?なんでその年でそこまで知ってるの?なんでそこまで物事を深く考えられるの?と不思議がられていました。
本当は、年齢なんて関係ないんですけどね!!
学校の授業はというと、インプット(記憶型)ばかりの勉強型ではなく国際的なコミュニケーション力をつける事が目的なので、アウトプット(話す)する機会がかなり多く、日本人の苦手な、”自分の意見を言う” ”相手の意見を聞く” というディスカッションや、自分の思いを形にするプレゼンテーションなどがあることが特徴でした。
中でも、週に1~2回プレゼンテーションをする時間があり、お題は自由。
なんでもいいからテーマを決めて、構成を考えてお話ししなくてはいけません。
あまりにも多いので、どんどんネタが尽き、ある日自分でもなぜこの話が出来たのか不思議と思うものがありました。
それは、私の内側で出来上がりつつあったと思われる
”病の成り立ちの構図について”のプレゼンでした。
このプレゼンを聞いていた講師陣や他の受講生が拍手喝采で
「木の子さんってお医者さんよりお医者さんっぽい!何者??
衝撃でした!もっと話が聞きたい!
これから絶対大事になってくる考え方だ!!
ちょっと相談したい事がある」などなど
という声をいただきました。
とはいえ、私本人は
”これ誰に言わされているのだろう?”と言った感覚だったのです。
そんな調子だったので、そのプレゼンのことも、だんだん忘れていくような感じでした。
これが2015年の事でした。
その後、某企業の総務部で外国人対応の仕事に入りました。
そこでも周りをまとめたり、業務改善、働きやすい職場づくりなどに力を発揮し、すぐにチーフとして起用していただくこととなりました。
そこでは、ほぼ治外法権かのような職場で、ここでも、国レベルでの価値観の違いを、体で学ぶ事となりました。
仕事以外では、より海外寄りな、ボディーワーク系を試したり、外国人のヨガの先生に弟子入りしてヨガならびにヨガ哲学、瞑想を学んだり、さまざまな健康に近づくと感じる関連書を読み漁ったりしていました。
そんな中、またまた難病潰瘍性大腸炎を患う事となったのです。
この続きは、次回。
あれ?まだ不幸体験続くの!?みたいな感じですが(汗)
不幸か幸せかは、一旦置いておいて、修行が続いていると捉えていただいて結構です。
次回はおおまかな経歴の最終章に位置する”難病克服と人生激変”をお伝えしようと思います。
お読みいただきありがとうございました。
本日は、このへんで。
See you!