Hi! Everyone!
井草 木の子(いぐさきのこ)です。
いよいよ本題に入ります!と宣言しましたが、今回は準備編となってしまいました(笑)
今回は実際に何をしたのか?をお話しするつもりだったのですが・・・
もしかするとこれからも何度もお話しする可能性があります。
それくらい本質を追求していく上で、
何をやるかより
どう考えるか
が大事だからです。

ここまでの私の道のりは、
音楽人生から突然の交通事故による人生強制終了
(→参照)
トータル7年もの寝たきりを経て
(→参照)
医療従事者
(→参照)
海外情報に触れながら
(→参照)
スムーズに人生を進んでいる(ように見えている?)人と、
私は一体何が違うのだろう??
このトリックを知りたい!との思いで
病気の本質、人生の本質を見つめて来ました。
そうすることで病も克服
(→参照)
その後人生が激変し全く新しいパラレルワールドに移行したわけです。
(→参照)

では、本日のトピック、本質を見る前に~マインドの事前準備~に入ります。
よく私の話を聞きたいとおっしゃる方々が、立ち話などで
「何をやって寝たきりから復活したの?」とか、
「どうやって人生変えたの?」
「何か秘密があるのでしょ?教えてよ!」
などと、言われます。
別に隠しているわけじゃないのですが、15年以上かけて本当に色々たくさんのことをやってきて、一言で言えないのですよね。
その説明だけで何時間も、下手すると何日もかかります。
ブログに書いていく、文字数や私の時間がたりずに、全部をお出しすることはほぼ無理でしょう。
ちょっと手を出してすぐにそれが良かったか悪かったかなんてわかるようなものは、そんなにないし。
物事って良いか悪いかは、もっと後にならないと分からなかったりします。
あまり評価という単語は使いたくありありませんが、
直後の評価・1か月後の評価・3か月後の評価・半年後の評価・1年後の評価・数年後の評価・10年後の評価・・・
それぞれに色んな側面(良い面/ちょっとだけ悪い面/ちょっとだけ良い面/結構悪い面)があるので、軽~く受け取られるのが嫌なのです。
嫌というのは、ちょっと違うかな。
私の話を聞いて「(軽く)じゃ私もやってみよ!」となられた場合、
それがその人に合っているかどうかは分からない。
もしかしたら、その人には合わないかもしれないし、悪くなる可能性だってあるという事です。
それは私にとって、お伝え不足だったな・・・と思うわけです。
人の命がかかっていると思っています。
物事の両方の側面や、色んな可能性がある事、またそれを判断する目を常に持ちながら取り組むマインドが大切だと思っています。
(それでもやってみたい方は自己責任でお願いします)
私が取り組んできたのは、
何かが偏った状態(本質からズレた状態)をニュートラルに近づける(本質に戻す)こと
これが目的であり、それらは気付くためのツールであるわけです。
根底にこれがあるので、誰もが同じ事を同じようにやればニュートラルになるはずがありませんよね。
その視点が重要かと思います。
例えば、以前少しお話ししたファスティングに関しても、これは本当に色んな下調べをする必要があります。
もちろんやり方の問題も大きいですが、そもそもその方の状態が過食気味やジャンクフードをよく食べるような方の場合は、間違いなくいい効果が期待できるかと思います。だいぶ体が毒されていた場合、水面下でベクトルの方向が変わった程度かもしれませんが。
一方で調子が悪く消化吸収能力が衰えている方や、普段から栄養不足・偏食などの方がやるのは、倒れる可能性もあるわけです。
公に発言する人はここまで責任を持たないといけないと思っています。
私はそういうことまで意識するからこそ、軽くはお伝え出来ないのですが、それを”隠している”と受け取られがちなのです。
そこまで考えたらお話ししているお相手がどういう状態か分からずに「ファスティング良いから試してみて!」なんて軽く言えますか?恐ろしすぎます。
だからこれまでも色んな事必要としている方に私の情報をお伝えしたいと思いながら、やってこなかったのですが。

違う例でお話ししましょう。
例えば周りにばかり解決策を求めている場合、一つ改善傾向になるものを見つけた時に、それに依存する状態に陥ることもあります。
これさえやっていれば、勝手にいい方向に向かう!などです。
根底にこの”周りにばかり目を向けている”があって、それで改善しなかった場合、
”効かなかったじゃないか!”
”嘘だった” ”騙された!”
となる事もあります。
私の場合、人生の本質に向き合い始めた時、効果があまり感じられなくてもそこまでの被害者意識はありませんでしたが、
学びをしている中で出会った人、周りの人、ネット上の知り合い、などを介してそういう場面をよく目の当たりにしました。
(人間観察は趣味みたいなもので、幼いころから、周りの大人やご近所さん、学校でのクラス、教師、知り合いの友達、家族、など出会う人を良く見ていましたし、大人になっても周りに人がいる環境が多かったです。)
そして、そういう方などが一時的な事や、自分の自覚する範囲での変化が望めない場合に、「これは効かない!インチキだ!」というジャッジをし、口コミなどをすることも往々にしてあります。
そういうところから、胡散臭いなどのレッテルが貼られることが良くあるわけです。これは、代替医療でよくある問題ですね。
見えない部分で作用している場合、本人には分からないレベルで変化があって、ゆっくりと体に作用している、もしくは自覚できる範囲外の水面下では思いっきり変化している場合もあります。
それは実際に効果がなかったかもしれませんが、その方の身体へのセンサーが弱っている場合や、目先の問題にしか目が行ってない事もあるわけです。
人は結果だけを見る、見えている部分だけを見ている事がよくあります。
その結果というものも、治療でいうと好転反応などもあります。
”好転反応で一時的に悪い”というのも、本当に悪化しているのかもしれませんし、もう少し長い目で観察しないと分からないものです。
そういうものは信じられないという風潮が、ますます科学的なエビデンスを求めて西洋医学一辺倒になっているのは否めなく、そこは残念な事だと思います。
そして、私は医療従事者であったのもあり、西洋医学の両側面を見て、良い部分もかなりあると思っている人間です。西洋医学で生命の危機から助かった方は大勢います。特に急性病変や大けがなどの外傷です。現代西洋医学の進化は凄まじいですし、そこに尽力されている方々も尊敬しています。
西洋医学、東洋医学、代替医療、補完医療、それぞれに得意分野と不得意分野があるだけです。
<一応、下準備として何をやったか聞く前に、ベースにこの考え方があることをお知りおきください。>

目的は、本質のズレを探して調整していく事。
何がズレているのかを認識することから始まります。
そして、基本的には自分の内側を見る必要があります。
肉体レベルから感情、マインド、様々な自分の内側です。
とはいえ、顕在意識には浮上していない問題が多いかと思います。
分かっていれば苦労しないわ~とか
分かっていても変えられないもん!とか
自分の事って、なかなか客観的に見れないから~とか
多種多様にあります。
私もその期間は相当長かったのです。
それらを見ていくために、諦めずに色んな事に取り組んで行ったのです。
それぞれやっていった事というのは、自分の内側を見ていくためのツールでしかありません。
自分の在り方は、それを使ったうえで自分が作っていくのです。
それらに、使われるのではなく、使う。
それなしでは生きられないという状態ではなく
自分軸で生きていく。
このマインドが、本質を見ていくために必要だと確信しています。

いかがでしたでしょうか?
なんか難しい事言うな~とか
小難しい人だな~とか
ごちゃごちゃうるさいな~とか
色々あるでしょう(笑)
普段の私は、かなりさっぱりした人です。心配しないでください(笑)
この手の話だけは、いくらでも話せる、小難しいことも言うだけです。
それくらい、私の人生の絡みついた糸たちは、解きほぐすのに必要な考え方であり、だからこそ気付けることが出来たのです。
もちろん、少し人生の糸が絡んだくらいの方なら、少し何かやっただけで、一気に好転することもあるでしょう。
そういう方は、ちょっと〇〇したら治った!とか、
おまじないしたらすぐ叶った!とか
あるのかもしれませんね。
ある意味羨ましい。
別にどん底ではなかったら、少し何かやって、多少状況や体調が悪くなっても許容範囲なのかもしれませんね。
私は生死をも意識するどん底を経験したからこそ、やたらと慎重なのかもしれません。

いくらでも、この考え方について話そうと思うと出てくるのですが、
あまり長いと読んでもらえなくなりそうなので、
今回は、このへんで。
次回はいよいよ、私が実際に本質を見るために取り組んできたことのお話に入る予定です。
お読みいただきありがとうございました。
See you!