Hi! What's up!
井草 木の子(いぐさきのこ)です。
本日は、私がどのような経緯で本質に向かおうとしたのか、
その当初の状況や考え方についてお話ししていこうと思います。
以前にも書きましたが、私は交通事故で寝たきりになり、身体も人生も全く動かない時期が長くありました。
交通事故に遭い人生が強制終了した話→こちら
その後寝たきり期の話→こちら
事故が起こった事・周りの影響・見えない世界の影響・寝たきりである事・音楽が出来ない事・仕事が出来ない事・収入がない事・全く物事が思い通りにならない事、絶望しかない事…
あんな過去もこの今現在の状況も、自分ではどうしようもないことばかり。
その時、本当に逃げ出したい、もうおわりでいいんじゃないか?
そんな心境なのですが、
どう頑張っても、過去に起きたことは変わらないんです。
どう頑張っても、今のこの現実にあることは変わらないんです。
全部外側で起こっている事、自分の身体と身の回りで起こっている事なんですが
どれも今すぐに自分で変えられないのです。
その時私は、こう思いました。
過ぎた過去も、周りの事も、自分の力ではどうしようもない。
どうかしようと思っていることは、自分が力ずくで推し進めようとしているんだな、と。
過去が変われば(事故さえ起こっていなければ)、周りが変われば(家族や元職場の人、友人など)自分は楽になれる?
たぶんそうですが、それは不可能なんです。
悶々と悩む日々。
こんな妄想もどんどん膨らみます。
●タイムスリップして、事故をする日に戻って外出を中止にしていたら良かったかもしれない。
●事故の日、向かっていた先は、友人との会食。その友人とはその後疎遠になってしまったのですが、その友人との付き合いをしていなければ良かったかな。
●いやいや、事故の加害者があの時急に左折しなければ良かっただけではないか!
●いやいや、とにかく加害者がウィンカーをもっと早く出していたら良かっただけ。(曲がったのと同時に出した←遅い!!)
●あの事故をした国道は道幅が狭いから、危ないよね。
●夕方の渋滞しやすい時間だったからなぁ・・・。
●事故で寝込んでいることで、周りの人間から理解が得られない。周りが分かってくれたら少しは楽だろうな。ただでさえ辛いのに、余計に苦しめてくる。
●交通事故でこうなっているのに、保険会社は補償を出せないと言ってくる。理不尽だ。働きたくても働けないのに!どうしてくれるのだ!
●私を治してくれるお医者さんがいない。
●西洋医学が思っていたより万能ではなかったのか。医学の進歩においついていない病態になってしまった。
●自分も治りたいのは山々だけど、周りが治る事に過剰に期待してくるのが重い。
●天候の影響をも、もろに受ける繊細な体…さらにしんどい。
などなど、寝たきりの中考えていました。
何度も言いますが、いくらそのような事を考えても、過去も現在の状況も全く変わらない。
それどころか、そのような事を考えれば考えるほど体調は悪くなり、さらにしんどくなるのです。
過ぎたことは、どうしようもないのに。
とはいえ、全部本当の事だしなぁ…と。
今思えば、それをすることで、更に心をすり減らしていたと思います。
もっと言えば、より状況を悪くしているという事です。
それらの過去や現状の辛い事で十分痛手を負っているのに、更に自分を追い込む、ある意味、自虐行為なのです。
これでは物事は好転するどころか、自分をもすり減らして、ますます好転する方にはいかなくなるのです。
では、どうしたら少しでも変わるのか?
問題の原因を外側ばかりに向けるのは止めにしよう。
だって過ぎた過去も、周りの人も変わらないのだから…。
そう思う事にしました。
今思えば、これが本当の復活劇の初めの第一歩だったかと思います。
内側のエネルギーのベクトルが変わった瞬間とも言えます。
寝たきり期の中盤くらいにはこの考え方を止める事にしはじめてましたが、周りがまだこの考え方なため、私はその考え方をやめようとしているのに、周りからそれを聞くのです。あまり何度も聞くと、最初は慰めてくれてるんだから嬉しい言葉なんですが、どんどん余計に辛くなるという状況になり、これはこれで結構大変でした。
自分は変えられても、周りは変えられない。
過去もそうだけど、今もそう。それにはもう抗わない。周りがいくらそういっても、自分の信念は自分が持っていればいい。
その後数年たち、だいぶ行動できるようになってからも尚
周りの状況に左右されていると気付いていきました。
周りが「どう」だから、私の状態が「こう」など、基準が周りにあるのです。
これだと寝たきり初期に、起こってしまった事故や周りに原因を探していたのと、変わらないのではないか?
”辛い事は周りのせいにしない事”に路線変更したけど、”嬉しい事や楽しい事”も同じかもしれない。
目を向ける先を、内側に向けるしかない、そうなんとなく気付いていきました。
これが、本当の意味で
本質に目を向け始めたスタートかもしれません。
私は常に周りに人がいる環境が多く、色んな意見があるのが普通で、それらを聞いたり調整したりする役割が多く、世の中には色んな意見や考え方がある事は分かっていましたが、どれを自分の真実として取り入れるのか?という疑問は多くありました。
あれこれ聞きすぎて、どれが本当なのか分からなくなっていたのです。
恋愛や結婚においても、どういう人が良いのか?紹介してあげるから教えてよ!
といわれても
「どういう人がいいのか分からない事が悩み」
と答えていました。
特にモテなかったわけではないのです。(上から目線ですみません)
合コンによく行っていた時期もありますが、結構感触はいいのです。
しかし、どういう人だったら私に合うのか。それが分からないのです。
付き合おうと思えば付き合えますよ。(上から目線ですみません)
でも、楽しければいい?かっこよければいい?何か才能があればいい?
どれも正解だし、どれも不正解なんです。
ある時期から、もう全く”相手を見つけるための行動”というのはしなくなりました。
相手を見る前に、自分だと。
それが分かる人間になってからだと。
このようにして、本当の意味で本質を見るようになっていきました。
少なくとも周りのせいにはしないという考え方には移行していたけど、
それでもまだ序盤だったというわけです。
これが、すなわち本質を見る旅路の始まりとなったのでした。
だからといって、すぐに本質なんて分かる訳もなく・・・つづく
いかがでしたでしょうか?
今の私がこれを読むと、それは上手くいくはずないと分かります。
ただ、そんなこと当時の私は分からないし、言われても理解できなかったと思います。
時間の経過とともに、色々な学びや経験の中で、自分でそれに気付いて行ったのでした。
それでは、本日はこのへんで。
お読みいただきありがとうございました。
See you!