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夏越の大祓

Hi! How's your day?

ごきげんよう、井草木の子です。

夏至も終わり、明日は夏越の大祓、半年に一度の神事の日です。

本日は、”夏越の大祓”と、それにまつわるマインドについて、私なりの考え方をお話ししたいと思います。

”夏越の大祓”をご存じですか?

夏越の大祓とは・・・六月の大祓を夏越なごしの祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形ひとがた(人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪ちのわを神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。

神社本庁HPより

神社仏閣がお好きな方はご存じの方もおられるでしょうし、毎年茅の輪くぐりしてるよ~という方もおられるでしょう。

神社に行くと、このような茅の輪(ちのわ)と呼ばれるものが設置されています。

多くの神社で茅の輪が設置されており、1週間くらいは設置している所が多い中、大祓の儀式は6月30日の午後なので、仕事上参列するのは難しい方も多いとは思います。

私も6月の設置期間中に神社に行って茅の輪くぐりをする程度でしたが、10年ほど前に大祓の儀式に参列できたことがあり、ここ数年は出来るだけ仕事のスケジュールを調整しては6月30日に参列まで行っています。

さすが平日の昼間ということもあり、参列されている方は年齢層が高いです。

また、時期的にもなかなか倒れそうな暑さであったりします。

(紙の人型に名前を書いて、初穂料と共に神社にてやっておいてもらう方法もあります)

儀式中は、このような唱え詞を読みながら、神主さんの後に続いて、茅の輪を三回くぐります。

「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶと云うなり
思ふこと みな尽きねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな
蘇民将来 蘇民将来」

*

夏越の大祓の説明文を見ると、”半年間の罪穢れを払う儀式”と端的に説明されますが、もう少し深く入っていくと、

”知らず知らずに犯してしまった罪や穢れを祓い、後半の半年の疫病退散・無病息災を願う”とされています。

↑これを深く読み解くと↓

知らず知らず”という所が特にハッ!と気付かされることが多いこと

そして、そのような罪穢れが、病や災難をもたらす、とも取れます。

ほら!ここに病や不運の原因となることが隠されているではありませんか!

私は以前にも書いてますが、昔の私は、間違ったアファメーションなどで”やらかし大先生”となっていましたので、

それ以来、神社仏閣は「お願い事をする所」をするところではなく

「感謝・御礼をお伝えしに行く所」へと変化していきました。

それと同時に、内面の気付きも深まり、

「神様に何とかしてもらって、自分では何もせず放り投げ」というただの他力を働かせるために行くのではなく

「心身を自ら清める行動を日々心掛け、それでも知らず知らずにやってしまった罪や穢れを払っていただこう」

という心を大事する方に変化していきました。

そして、知らず知らずにやってしまった罪や穢れがあったかしら?と、半年を振り返るタイミングにもしています。

どんなに良い人でも、どんなに精神性の高い人でも、生きている限り多少の汚れはつくものです。

それだけ「意識している人であっても」そうなってしまうのです。

もちろん、捕まるような事をしても、祓ってもらったらいいなんて論外ですよ(笑)

例えばオフィスで、すごく整理整頓や掃除好きな人がいて、デスク周りが整ってピカピカな人がいたとしましょう。(ピカピカデスクさん)

しかし、その隣の人は片付けが苦手で、デスクが山のように散らかっていた場合(汚デスクさん)、隣にピカピカデスクさんがいる事で、同じフロアの人からその二人を比較して「デスクって人の性格が出るよね~」なんて声が聞こえてきたりして。そうすると「ピカピカデスクさんのせいで、私の汚さが目立ってしまうから、困る!腹立つ!」もっというと、あることないことくっつけてたりもして「ピカピカデスクは本当は性格悪いくせに、あいつのせいで!私の方が性格悪いとか言われてる!」となるわけです。

知ったこっちゃない!って話ですが、汚デスクさんは、ピカピカデスクさんに良くない念を飛ばしていたりします。

ピカピカデスクさんにしたら、完全にとばっちりですよね。

それでも、それはエネルギー的には罪汚れであり、心身に付着してしまうのです。

生きていたら、こんなことはザラにあるのです。

そういう意味では、罪汚れから逃れる事はできないのです。

そして、自分もそうやって羨ましいとか妬んでしまう気持ちから飛ばしてしまっている、ややこしい想念もあるという事です。

罪穢れを祓うという意識を持つ、そういうタイミングを意識的に持つことが大切なんだと思います。

それと、私がこういうことをする上で大切だと思うのは、やはり日々の自分の在り方、マインド、心掛けの方なのです。

悪気があるないにかかわらず、明らかに人を傷つけるような言葉を言ったり、

人の迷惑を省みないような自分勝手な行動をしてはいないか?

さっきの例のように、人に対してそのような思いを持ってしまったら、自分も飛ばしている人になるわけです。

こういう事をしているのに、神様に頼るのは順番違うでしょ?と思います。

そういう事を飛ばして、神事やスピリチュアルな事ばかりに目を向けているのは、ただの他力本願になってしまうと感じるのです。

*

それは、なぜか?

自分が主体となって動いていないのです=他人軸。

自分が主体となって良い人生にする!と思って行動をする。

その上で、神様のお力もお借りする。こっちは自分軸。

わがままや、楽をしたいだけの自分、惰性的な自分軸を育てるためではなく、

自分の在り方、マインド、心掛けにおいて、

自分に今出来る事をする!

戦う、競争する相手は周りにはいなくて、誰かと比べるのではなく、

比べたり戦ったりするならその相手は、聞き分けの悪い自分。言い訳をしてしまう自分。

もっというと、そういった思いを持っていた過去の自分。

そこに気付いてあげる事。

常に自分史上一番いい状態を毎日更新する。

そういう気持ちで生活しているか?

本来は人は、自分の魂を輝かせるために生まれてきているはずだからです。

そりゃ生きていればしんどい事や腹立たしい事はあります。

体調がすぐれない日もあります。思い通りに行かない事も多々あります。

しかし、その出来事にいかに心(魂)や人生まで持って行かれないか、

それがあろうと、なかろうと、本来の自分の目的は変わらないはずなのです。

もっというと、その腹立たしい出来事ですら、本来の自分、本質に気付くために

与えられているヒントかもしれません。

*

逆に、あまりにも自分の本音や意見を言えないような自己犠牲的な生活をされてきた方には、

一旦、自分のわがままや楽をしたいという心の声も聴いてあげる必要があると思います。

*

人生は選択の連続とも言われています。

そういう事に気付いて行ったとき、視野が少しずつ広がって行き、

そういう視点でみたら「この選択をしていたら過去の自分のままだな」

「ここで、この新しい視点を採用してみよう」

「あ!こっちの選択をすればいいだけなのか!」

「トリッキーだなー」

そんな風に変わって行き、今まで重苦しかった心が

軽々と良い選択をして行ける、そんなきっかけになっていただければ嬉しいです。

いかがでしたでしょうか?

これらは日本人がかつて大切にしていた心なのかもしれません。

私は、儀式も大事だけど、このマインド、考え方の方がとても大切だと思っています。

そっちに本質があるのでは?と思うからです。

もし、そのような罪穢れという概念を考えても見なかったという方は、

取り入れて見られるのもいいかもしれませんね。

また神社仏閣へお参りする最初のきっかけはどうであれ、そういう事に気付いて自分自身を改めたりしていくきっかけになって行くのであれば、とてもいい事だと思います。

良かったら夏越の大祓、儀式は無理でも茅の輪を設置している神社へ出向き、くぐってみられてはいかがでしょうか。

神社に行けなくても、穢れは普通に汚れとも取りますので、いつもより念入りにお家の掃除をするのも良いと思います。

そして半年分の心身の浄化、身も心もゆっくりお風呂につかり、穢れを水に洗い流して、新しい半年をお迎えしましょう。

それでは、本日もお読みいただきありがとうございました。

See you!

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