Hi! How's it going?
ごきげんよう、井草木の子です。
最近、旧友と久々に連絡を取り合う事が増えています。
こちらからの事もあれば、逆もしかり。
それらの友人は、私が起業した事とかも知らずに、たまたまこのようなタイミングで連絡をくれるというのは、何かを察知しているの!?と思えてしまいます。
私がこういうことを勉強していたのは「本質を追求したい」の一心で、いわば隠れ趣味みたいなものでしたし、特に人にやるつもりではなかったので一切告知もしていないし尚更です。こっそり勉強、略してコソ勉(笑)
昔の友人にはきっと、”ただの健康オタク”だと思われていたでしょう。
連絡を長らく取っていなかったけど、時を経て再会を果たすというのは、魂レベルでお互いが必要だから出会ってるんだろうなって思います。
久しぶりの再会が楽しみです!
さて、前回の続き「最高の未来を描くために」シリーズとして
①思い込みの清算
過去記事参照→最高の未来を描くために①思い込みの清算
②負のマインドセットありきで未来を描かない
過去記事参照→最高の未来を描くために②負のマインドセットありきで未来を描かない
につづき、本日はPart3として叶うまでに起こる事。
③「向き合うテーマがやってくる」
というお話をしていきたいと思います。
私が、願いが叶っていく過程、もしくは現実がどんどん変わって行く過程を振り返った時「テーマに向き合う事」これはつきものでした。
”それってどういうこと?”ですが
ポケーっと楽して好きな事だけして遊んでたら勝手に現実が変わって行ったわけではないという事です。
前にも言いましたが、
今の現実は自分が選択してきたことの連続の上で成り立っているのでしたよね。
その選択は、自分がマインドセットした事を基準に選んできたと言っても過言ではありません。
思い込みの基準が他者の思い込みを押し付けられていたとしても、選択したのは自分なのです。
世の中の大多数の人がそう言っているから、といっても、それを選択したのは自分なのです。
では、その基準を変えない限り、これからも同じ選択基準で選んでいくので、未来は特に変わらないという事なんですよね。
”運頼み”だけで行くのなら、それでもいいでしょう。
その選択基準は自分ではあまりにも当たり前すぎて「おかしいはずがない」と強く想っているでしょうし、それは無意識下にあるので、何かがおかしかったとしても気付けないのです。
しかし、その基準を変えるきっかけとして「問題が起こっている」と解釈します。
問題というのは、実際に問題という顔をしている現れているのですが、本当の中身はお知らせ現象なのです。
それがすなわち、向き合うテーマなのです。
そのテーマはその人それぞれ違い、弱点かもしれないし、それを乗り越える事で過去は弱点だったかもしれないけど、未来はそれが強みになっているかもしれません。
今まで向き合ってこなかったことであったり、学校で色んな事を勉強してきた自負があったとしても、向き合うテーマは学校では教えてくれないような事であったり、まだ見ぬ領域の学びなのです。
その問題の真っただ中にいる時、それと自分が向き合うテーマが一致するようになんて全く思えない事だったりしますし、むしろそう思える事の方が少ないでしょう。
ただの煩わしい問題。いつも問題ばかり起こすトラブルメーカーの〇〇さんが起こしたこと、とかね。
直接的ではないようなことかもしれませんが、回り回って繋がっている事はかなーりあります。
というわけで「テーマと向き合う」って一言で言っても、複雑で結構大変だったりします。
言い換えると「きちんと目の前に起こっている問題と向き合う」という事であり、
その問題が起こっている原因を「自分の中に探してみる事」です。
対人トラブルなら、相手だけではなく、そのトラブルを通して自分にも向き合って、新しい選択肢を自分で用意できるようになり、これからは新しい選択が出来るようになり、新しい未来を作って行けるのです。
絶対的に相手が悪かったとしても。100%であったとしても。
9割相手が悪かったとして、1割自分が原因を作っているとしたら、と仮定してみるのです。
絶対に許せなかったとしても、99.9%と0.01%でもいいです。(実際の割合はどうでもよいです)
そうやって向き合い、色んな視点で捉えてみて、違う解釈が生れ、違う選択が出来るようになって、気付いた時には
「最近なんかあのパターンのトラブルが減っているな」となり
「あの時の問題は、このテーマに向き合えってことだったんだな。」
と、腑に落ちるようになります。そこで初めて乗り越えたと言えると思うのです。
新しい選択が出来る自分に成長したのです。
自分がそのテーマにきちんと向き合って乗り越えたご褒美なのです。
とっても清々しいですよ。
その問題の最中や解決の過程でそんな風に思えたら、だいぶ上級者ですけど、なかなかそうは思えないものです。
同じ問題でも悪い例をあげましょう。
時に、善悪、勝ち負けや損得、他人との比較によるどんぐりの背比べのような争い、上下関係の基準で問題に向き合うと、違う形で解決した気になってしまう事があります。
相手を悪者にするだけで終わらせたり、力で制圧させただけだったり、お金で解決してみたり、はたまた暴言や暴力で勝った気になってしまったり。
それらは勝った気になっているだけあり、勝ったと勘違いしているのです。
解決とは逆のベクトルにエネルギーを使っているのです。
それらはむしろ問題の本質から遠のく行為であり、せっかくの学びのチャンスを無駄にしている事になります。
本当の強さはそこにはなく、人間の内側の力、捉え方を変える、視点を変える、自己成長をする事のほかにないのです。
表面的な勝ち負けよりも「負けるが勝ち」なんてことも往々にしてあるのです。
私は、このように影ながら向き合って乗り越えてきたテーマが実はたくさんあるのですが、そこは周りの人は知らない物だから、すっ飛ばして叶ったように聞こえたり見えたりするのだと思います。
だから”魔法?”だとか”スピリチュアル?”とか”秘密を教えて”とか言われるのだろうなと思うのです。
むしろその努力は言わずに何もしてない事にして、「アファメーションだけで幸せに!」なんて売り出したら売れるんでしょうね。
楽したい人は飛びつくでしょう。
それにも良い部分はありますが、〇〇だけっていうのはあんまり信用しない方が良いと思います。
それが”お花畑系のスピリチュアル”と言われるものの典型かと思います。
*
もちろん不必要にネガティブに向き合う必要はないと思います。
今ある幸せに目が行かなくなってしまうのです。
逆に、見せかけのポジティブ思考で事態が悪化している人もかなり見てきました。
ネガティブ(陰の部分)に向き合って取り組むことで、陰を陽に転換した上でのポジティブと
ネガティブを見ないふりしてポジティブに見せかけている。
(周りからポジティブに見られたいだけかもしれません。)
これらは一見同じでも正体は全然違うのです。
これらが本質に通じる部分であり、バランスが大事だとつくづく思います。
これらの向き合うテーマは大きいモノから小さいものまで多種多様にあり、人生日々勉強と言っても過言ではありません。
私の分かりやすい例で言えば、交通事故で寝たきりになったり、難病になったりしたことで、自分自身を見つめるきっかけになったわけですが、これは大きなテーマとして捉えたら一つ。
しかし7年もの寝たきりで、ずっとそうやって思えたわけではありません。
長い目で見たら、結果的にそうだったと後で捉えられるようになっただけです。
現在は、そんなに厳しいテーマはさすがにないですが、小さいものは常にあります。
でもそのたびに「導かれてるな~」「ありがたいな~」っていう現象がたくさんあります。
例えば、特に私は身体に出やすい、敏感というのがあります。
逆に言うと、すぐに体力の限界以上の事をやってしまう性質があるので、「今自分を心や体をおろそかにしてるよ!」というお知らせは本当に多いです(笑)
そもそもの体力を上げろって話もありますがね(笑)
私はこのセンサーが鈍ってたら、体を酷使してしまうのでしょう。
だからこの敏感な体にも感謝なのです。
そしてそれをきっかけに、なぜここで他人を優先させて、自分の心を後回しにしてしまう癖があるのだろう?と読み解き、
それは幼少期に〇〇の経験をしたときに、これをすれば上手くいくと勘違いしてしまったことなどが出てくるのです。
あとは、共感能力が高すぎて、人が感じている悲しみなどを、本人以上に感じてショックを受けてしまったり・・・。
人間って間違った学習能力も備えているのですよね。
しかし、これは全部だめな事ではなく、それのお陰で〇〇なこともあったりするので、一概にそれがだめとかではないのです。
私の場合はそれがきっかけで、色んな体の症状と心を研究するきっかけになりました。
そしてそれを研究することで、難病を克服する事に繋がりました。
また全然違う視点で、大きい規模の影響を受けることもあり、西洋占星術的に今の天体の配置などから、世の中的にも同じようなテーマが来ているなんてこともあるのです。
時々によって、向き合うテーマは多種多様にあります。
いかがでしたでしょうか?
私のブログは基本的にはこの「最高の未来を描くために」という事がテーマとなっているので、どの記事もこれに繋がるようなことではあるのですが、今回は3つの事をお話ししました。
この3つはいわばテクニック的な事ですね。
結局、見ていくところは本質、自分の内側となります。
もっと私の実例を入れようと思ったのですが、既に長すぎるのでやめておきます(笑)
また、機会があれば書いていきますね。
それでは本日は、この辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
See you!