Story

難病潰瘍性大腸炎発症と克服(Story⑥)

Hi! How is everything?

井草 木の子(いぐさきのこ)です。

前回は、語学習得ならびに外国みたいな部署で働き、より海外の情報に触れる生活をしていたお話しでした。

前回の記事はこちら→語学習得並びに海外情報に触れる

本日は、もう少し補足を加えながら、難病潰瘍性大腸炎克服の話に入ります。

ちょうど時は、日本への渡航者が過去最高を年々更新するような時期であり、猛烈な忙しさの職場でありました。しかも、日本の常識が一切通用しないくらいの治外法権状態でしたので、心身共に疲労はしていました。

忙しすぎるが故、スタッフ間も色んな問題が勃発。
スタッフも国際色豊かでしたから、日本人にとっての常識も通用しませんし、また語学だけを追求してきたような日本人の同僚もいて、偏った考え方で周りと衝突するなど、今まで経験してきた職場ではありそうで、あまりないことも多かったです。

同僚たちはそんな中疲弊していましたが、私は取りまとめる方の役割。出来る限りを尽くし、とはいえきっちり公私を分けて、勤務以外の時間は仕事の事に浸らない事を心掛け、本質を見つめる時間を確保することを死守していました。

昼休みも同僚とご飯は行きません!もちろんお話し好きなので、喋りたいのは山々。
でも、だいたい職場がこういう状況の時って、愚痴とか悪口とか出てくるので、そんな事に時間を取られたくないのです。

私は常に図書館で借りて来た本が手元に十冊(借りれる最大数)を抱えていたので、読書する時間が必要でした。そして頭の切り替えにもなりますし。

昼休みの1時間は、社員食堂で過ごすのですが、きっちりタイムスケジュールを組み、ご飯食べる(15分)ノイズキャンセリングイヤホンで外の音声を遮断して瞑想する(5~10分)集中力が高まった状態での読書(25分)残り移動トイレ。

仕事が忙しいだけに、このように時間を作り出さないと、読書が追い付かないし、図書館の返却期限に間に合わないのです(笑)

”時間がない&返却期限がある”というのは私にとっては、お尻を叩かれているような状況で、これだからどんどん読めた、というか読まされた?と、今となっては思います。たぶん時間があった方が読んでないかもしれません。しかも、偶然の?図書館が当時の住居から徒歩2分!

そんな私に次に襲ってきたのは、またまた難病の潰瘍性大腸炎なのでした・・・!(涙)

潰瘍性大腸炎とは

潰瘍性大腸炎は、主として粘膜を侵し、びらんや潰瘍を形成する原因不明の大腸のびまん性非特異性炎症である。医科学国際組織委員(CIOMS)では「主として粘膜と粘膜下層を侵す、大腸特に直腸の特発性、非特異炎症性疾患。

この病気で一番有名なのは、故元安倍総理が一度目の総理大臣任期時に、この病の為になり退任されたという話です。

当時、私は仕事も激務ではありましたが、私生活でもストレスフルな状況でありました。

だんだんとお腹の痛みや下痢・出血などによる、トイレの回数が極端に増え、また我慢が効かなくなってきて、いよいよこれは病院に行かなくては・・・という状況でした。

<私と腸についての歴史↓>

元々私は腸が強い方ではなく、小学生の頃から便秘、週に1回のお通じなど、慢性便秘でした。

小学生で夜中に腹痛が激しく救急で病院に運ばれたこともありました。

結果的には極度の便秘でしたが、誤診で危うく盲腸の手術をされそうになったことも(汗)

また、大学生ごろには、緊張するとお腹を下す事も日常茶飯事であり、過敏性腸症候群と診断されたこともありました。

過敏性腸症候群とは、精神的なストレスや自律神経バランスの乱れなどによって腸のはたらきに異常が生じ、便秘や下痢など排便の異常を引き起こす病気のことです。

排便の異常の現れ方は人によって異なり、絶えず下痢が続くケースもあれば、便秘と下痢を数日ごとに繰り返すケースもあります。また、腹痛やお腹の張りなどを伴うことも多く、中にはトイレから離れられず日常生活に支障をきたすようなケースも少なくありません。

音楽系企業にて勤務していた時には、激しい腹痛で救急病院に運ばれ、腸閉塞と診断され入院した経験も。(絶食と点滴などで回復し手術は回避)

腸閉塞とは、小腸や大腸が何らかの原因で詰まってしまうことです。腸の内容物が停滞してしまい、腸管が拡張し、腹部膨満感や腹痛を生じます。
腸閉塞には、単純性、複雑性、機能性があります。

さらには医療機関で働いていたころ、おなかの調子が悪くて大腸内視鏡検査をすると、大腸ポリープが発見され除去。

大腸ポリープとは、大腸の粘膜の一部がいぼ状に盛り上がり、大腸の内側の空間部分(内腔)に突出したものです。

その後は定期的に内視鏡検査をすることにしていました。

なんとまぁ、どんだけ~?腸の病気しまくり!

<私と腸についての歴史↑>

今回の症状出現により病院に行き内視鏡検査をする流れは、自然でした。

検査をされながら、自分でも腸の中をしっかり確認して、

腸壁がただれている箇所があることがはっきりわかりました。

そして主治医と治療方針について話しているうちに、私の質問攻め攻撃に医師も苛立ちを隠せず、喧嘩することとなりました。

<診察室の一幕>

医師「この病気は何故発症するのか分かっていません。難病指定されていますし、一生付き合っていかなければいけません。しかし今は薬で治るようになったのです。なぜこの薬が効くかはわかっていないが、症状をコントロール出来る方が増えてきてきています。」

そのような説明でした。

私「”なぜ効くか分からない薬”?何ですかそれ。仮にそれを飲んで症状が治まっているだけなら、薬を飲むのをやめたら、どうなるのですか?」

医師「急にやめてはだめです。そういうのを繰り返して皆悪化していくのです。きっちり飲み続けて、症状がでなければ緩解させる事に成功したと言えます。薬を飲むのをやめる判断はそれからです。」

私「飲み続けるとは、どのくらいの期間を言っていますか?」

医師「1~2年。もしくはそれ以上です」

私「それは治る方法と言えるのですか?」

医師「症状を抑えることが目的です。これが今の医療の限界です」

私「私はその方法より、どんな食べ物が悪いとか、どんな生活をすればいいかとか、他の方法が聞きたいんですけど」

医師「そういうのは何もこれといったエビデンスがないのですよ」

私「は?”なぜ効くか分からない薬”を出すことが医者の仕事なんですか?それって治してる助けをしていると言えるのですか?」

医師「(怒)とにかく、今はこんなにすごい薬が出てきているのです。飲んでください。これが駄目でもまだ他に薬は数種類ありますから。」

私「いやです。」

医師「(怒)・・・木の子さん、変わった人ですね。これを飲めば症状がなくなると言っているのですよ?とにかく、この薬は高いからもったいないので持っておいてくださいね。(どうせ)辛くて飲むことになりますから。」

私「なんだそれ。では持つだけ持っておきます。私は他の方法も探しますわ」

医師「(他の方法はないと言っているのに)・・・わかりました。まあ、また経過を教えてくださいね」

私「心の中で(いやじゃボケ)」

そして、会計書を見ると、基本診察料が指定難病の基本診察料になったことで点数が上がり、支払いが高くなっていたのです。

難病ビジネスのカモ入りしてしまった・・・

さて、これからどうしたものか・・・。

この医師は、発症する前から内視鏡検査のかかりつけ医として診てもらっていて、検査ついでにポリープくらいなら除去してもらって終わり。内視鏡の腕も良いし検査設備も良かったから、それまで悪いイメージは全くなかったのですが、この状況になってしまって人としてはとても残念でした。

この医師が悪いわけでもなんでもなく、今の西洋医学の治療指針がこうであるというだけなので。

まぁ、色々悶々と考えながらも、おなかの調子がすこぶる悪い。

一日に20回以上トイレに駆け込む毎日。(最大では1日40回くらい)

あ!トイレ行きたい!となってから、トイレまでの時間がすぐじゃないと持たないのです。冷や汗ものです。しかも出るものは血・・・。常に流血しているわけですから、フラフラです。もともと細身で低血圧、貧血体質。日常生活に支障が出まくるわけです。

それでも、私はその薬を飲む気にはなれませんでした。

過去にアトピー克服経験から、薬に対しては怖いイメージしかなかったので。

(アトピー克服体験もまた改めてお話しする予定です)

そんなある日、突然ひらめきました。語学学校で行ったあのプレゼンテーションについて思い出したのです。(前回の記事の後半部分参照→語学習得ならびに海外情報に触れる

あの”病の成り立ちについてのプレゼン”を実践する時が来た!

もう、これは私が私に対する挑戦であり、課題なのかもしれない、と思いました。

実践の策は、また追加で情報収集したりしながら、実践と症状の変化を自ら観察・分析・工夫などを日々行い、すぐに症状が良くなるわけではないので、泣きそうなしんどさと付き合いながらの日々。

なにせ、誰かの体験談を聞いてやったわけでもなく、それこそエビデンスなんて目線で言ったら何もない事ばかり。

食事・ボディワーク・マインド・それ以外・・・様々な事です。

(このへんはまたいつか書いていく予定です)

”これをやって治らなかったらどうしよう?”というよりも

”どれが効くかとことんやりたい!”と、諦めずに続けた結果・・・

症状の消失に成功したのです!

難病と言われている病気を自分でやっつけたのですよ!

この達成感は、本当に表現するのは難しいですが

  • 一日に最大50回くらいトイレに駆け込む状態からの解放
  • 体中のすべての細胞が喜んでいる感じ
  • すっごい難しい難問を解いた感じ
  • あの病気の成り立ちのプレゼンが私に与えられたプレゼントだったのかも
  • ご先祖様、守護霊様、神様、宇宙から賞賛を得た気分

症状が消えた日の事は、もはや奇跡のような事でした。

(※一応、この病気は症状が出ていない状態を”緩解(かんかい)”という言葉が正解とされています。
しかしそれは、薬をのんで抑えこまれている期間を差し、薬で治まっているだけなので”完治”とは言えないというものです。
でも、私の場合は薬なしで症状がなくなったのだから完治と言って良いと思っていますが、そんなこと私にとってはどっちでもいいので、症状の消失と表現しています。)

何をどうして治したのかは、色んな事をやりましたので経歴として書くには長すぎるため、また別で書いていきます。

それよりも、どうして治したかの考え方の方が大事だと思っています。

そして、思わぬ副産物もありました。

私は年中のほぼすべての花粉(スギ、ヒノキ、イネ科、ホコリなど)に対するアレルギー反応が出るIgE抗体があり、しかも検査値がMAX振り切れるくらいあります。

20代の一番ひどかった時は、両鼻に詰め物をしてマスクをしても鼻水が止まらないレベルだったのに、

花粉症の症状までもがほとんど気にならなくなっていました。

アレルギーは持っていても、症状の出現するか否かは結局、腸内環境なのかもしれませんね。

この続きは、また次回。

次回は、そんな修行のような克服体験を経て、どんどん私の人生か好転していくお話しに入っていきます。

お読みいただきありがとうございました。

See you!

-Story